ピンクのダチョウ   

どこまでも、独りよがりで幼稚な日記を書いてみる!そこからじゃないとスタートできない。

還暦を目前にして

あと半年たつと60歳になるのだが、59歳という一年で一気に5歳くらい老け込んでしまいそうな感覚がしている。

50歳のころは、十分にまだ元気だと思えた。

55歳になるとその自信に陰りが見え始めた。

59歳になると迫りくる60代が恐ろしくなってきた。

 

一日どれだけのことをやり遂げるかよりも、一日をどう疲れを溜めずに終えられるかが大切になったきた。

 

それでも何もせずにただ、老いていくのはつらい。

本当にやりたいこと

やらなければならないこと

今の自分にできること

何を捨てて何を取るか、そのことばかり考える。

 

まだ、やっと60歳なのに随分と老け込んだ考えをしていると思われるかもしれない。

 

父が余命1年の宣告を受けて5年以上たつ。

思いのほか、今も元気だ。

介護保険のサポートを受けて一人暮らしが可能になるなんて、想像もできなかった。

長くは続けることができない制度だと実感しているだけに、幸運に感謝している。

 

弱っていく父親が教えてくれたことは、壊れてしまった脳のしたたかさと老いの悲しさ。そして私自身がどれほど未熟な人間だったかということ。

 

実を言うと私は、昔から物事を深く考えるのは嫌いだった。

結局は堂々巡りで、時間の無駄だと思っていたから。

 

だけどさすがにこの年になると、これまでのことをじっくり振り返って考えてみる必要を強く感じずにはいられない。

過去の輝きにすがるでもなく、この先を悲観するでもなく、現状をしっかりと客観的に見据えてすごしていけるように。

 

…やっぱり、明日こそは図書館にでかけよう。

 

ルームシェア中のモルモット。なにもかも可愛すぎ♡

 

 

 

 

 

 

 

 

推しに沼った夜に見た夢は?②

今週のお題「夢」

 

ここはどこだろう?

 

今とは違う懐かしい感覚の中に私はいました。

周囲はやや色彩が色あせていて、昭和の時間にタイムスリップしたような景色。

子供のころによく遊びに行ったおばあちゃんの家によく似ているけど少し雰囲気が違う。

私はダイニングのテーブルに腰かけていて、

奥のキッチンで、誰かが食器を洗っているのが見えました。

彼女が誰だか知っているようで、思い出せない。

でも、私は親戚の叔母に向けるような親近感をその女性の後ろ姿に抱いていました。

 

目の前には小学生低学年くらいの次男が俯きがちに座っていました。

落ち着かない様子で無口で周囲を観察しているような様子です。

 

次男の姿を確認した後、私はキッチンの入口まで行って女性に声をかけました。

「長いこと預かってもらってすみません。

そろそろ連れて帰りますね」

 

女性は振り向くこともなく黙って手を動かし続けていたが、私は彼女が了承してくれたと感じ次男に近寄りました。

 

「一緒に蹴ろうか」

私の声かけに次男は俯いてだまったまま。

その時私は、しっかりと相手の意思を確認しておかなくてはいけない必要を感じました

次男の高さまで腰を降ろし華奢な肩に手を添えて、もう一度声をかけてみました。

「家に帰りたい?」

 

それでも次男は顔をあげずに黙ったまま。

その姿を見て、彼が決断を私にゆだねているように感じ、健気で愛おしく思いました。

 

その時、彼を抱きしめたような気がします。

 

次の瞬間、ハッと夢から覚めました。

夢の中の出来事を目覚めた後もしっかりと覚えていることは、私にとってはかなり珍しいことです。

 

夢から目覚めて真っ先に頭に浮かんだ言葉は、

ーやばい!もしかして連れてきてしまった⁉ー

でした。

 

その言葉に驚いて

ーえ?なんの事?ー

と頭の中で自分に問いかけました。

 

当然ながら、夢の中の私は目覚めると同時に消滅してしまったので返事は帰ってきません。

 

現実に戻る直前に抱きしめた次男の細い肩の感触が指先に残っていました。

こっちの世界の彼は0代に突入しており身長も180cm超えの大男に成長しているので、懐かしい感覚です。

 

しかも次男は、隣の部屋で就寝している最中。

あと1時間もすると、中間管理職でストレスフルな彼の1日が始まります。

今の彼に私の助けなど1ミリも必要ありません。

 

だったら、私がこっちの世界に連れてきたあの小さい次男はなんだったのでしょう?

そもそも後ろ姿の女性に向けて話した

「そろそろ連れて帰ります。」

という言葉にはどう意味があったのだろう?



そういえば昔、スピリチュアル”本を何冊か読んでいました。

たしかあの頃は、家族の中でスピリチュアル的に一番近い存在は次男かもしれないと感じていたんだっけ?

もしかしたら夢の中に登場していたのは、次男の姿を借りた私自身だったのでは?という考えに至りました。

 

 私は過去の自分から離れたくて、意識の中のどこかに自分の根っこを長いこと預けていたのかもしれません。

長いこときちんと向き合わねばと思っていながら、いろんな心理的な葛藤を鎮めることができずにそのままでいました。

 だから幼い頃の次男の姿を借りて夢の中に登場させたのかもしれません。

そうなると私の無意識の試みは成功して、なにか得体のしれない自分自身を現実に連れて帰ることができた気配が濃厚です。

 

推しに沼って脳内麻薬が頭の中に充満することによって達成できたと言えそうです。

これからも推しにパワーを充電してもらいながら、居心地悪そうにしている自分自身と向き合って大切に育てていこうと固く決意をすることにしました。

 

現実と無意識の私のみが知る事実ですが、ただの変な夢で片づけてしまってはいけないことのような気がしています。

現に小さな私が自分の中にいるのだと信じてこの先過ごして行くほうがこれからの人生が楽しく過ごせるのかも?




今月、推しと同じ日に誕生日を迎えて、私は59歳になります。



 

 

推しに沼った夜に見た夢は?①

相も変わらずにクラウドワークスで初心者案件に苦しむ毎日です。

てか、後退していてどんどん書けなくなっていってます。

ほぼ毎日のように記事を書く努力はしているのに、2019年に登録した頃より後退してるって、そんな人間ほかにいるんですかね?

 

自分でも受け入れたくない現実。

 

なんていうか…あれですよね。(あれって何?)

知識ばかりが頭の中で混乱して整理できてない傾向?

 

いちおうSEO知識をわずかに取り込みつつあって、それなりに無駄がなくなりすっきりとした文を書くようにはなりました。

 

ただ、

しんどい!

1行書くのもしんどい。

時間ばかりが経つし肩こるし、腰痛いしなんとかしてよ!

 

ということで気分転換に推しのYouTubeをポチリ。

 

実はこの歳になって、久しぶりにどっぷりハマってしまった推しのYouTuberがいます。

その人は派手な演奏スタイルが売りのソロのドラマーで、去年までは2人組で活躍していたんだよね。

 

プロフィールを見ると私が今住んでいる福岡出身で、なんと誕生日が同じ日。

 

そして娘と同じ高校を卒業していて、推しがちょっとだけ身近に感じて嬉しくなってしまった単純な私。

 

 

そんなわけでさっそく推しの動画を見始めるのですが、新曲動画が前の作品より突き抜けすぎて、頭の中が別の次元に飛んでしまいました。

 

これぞ、脳内麻薬が充満した状態!

 

1時間は同じ動画を延々と見続けて、それだけで飽き足らず今まで見てなかった過去動画まで延々と見続けます。

ドラムが大好きなこと以外は普通の少年だった彼が東京に出てきて、芸能事務所に入り

相方と出会いYouTubeとして力をつけていく爆進劇。

 

相方の男の子もすごく魅力的で、推しの激しいドラムのパフォーマンスと波長がピッタリ合っていました。

好きなことに没頭すると、人ってこんなに変われるんだ…!

そんな心地の良い気持ちに浸れた時間でした。

 

その後も推しの映像に没頭し続け、気づくと時間は丑三つ時。

流石に翌日のことが気になり、渋々動画視聴を切り上げてベッドに入ることに。

 

私も好きなことだったら、きっと集中していくらでも書けるのかもしれないなぁ。

いっそ、映画の感想ではなくて好きなYouTubeのことをブログに書くのはどうだろう?

一瞬、そんなアイディアが頭に浮かびました。

 

でも明日になって現実に戻ったら

誰もがウンザリして読むわけない!

と一掃して笑う自分を無意識に想像しながら眠りにつくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この先にあるのは宇宙か深海か?

いつも同じ答えにたどり着く。

外界に答えはないのだと。

 

もしも、求め続けている答えがあるとしたら、それはわたしの奥底。

しかし、そもそもはっきりとした答えなどなく、私が進むことが出来る方角はそこしかないのだ。

 

ひたすらマニュアル通りの文章を書くことに5年も向き合ってきたが、合格点をもらえる要領のいい文章など書けないのは自分がよくわかっている。

 

 

一日一日と老いていく中で、自分の世界にどっぷり潜ってみないと先々後悔しそうな焦燥感がつきまとう。

 

もう何十年も前から、突破口は自分の中にしかないのがわかっていながら、真っ暗な洞窟の前で足がすくんで目をそらし続けていた。

 

何も考えずに

ただ書きたいことを書こう。それだけ。

 

読者は未来の私。そんな自分勝手で臆病なブログが少しずつ進み始めている。

父親の介護の話1

前回あれだけ意気揚々と映画考察ブログを書くと宣言していながら、こっちのテーマに走っている変わり身の早さ!今年も迷走する気満々の私。ずっと長いこと何を考えているのか、何を感じているのかわからないままだった気がする。もしかしたら、これは生まれ持った気質なのかなと思うくらいに。

そんな私が去年の10月まで心臓病を患っている父の介護の為、築90年の古い家で4年間、父と2人暮らしをしていた。

”2人暮らしをしていた”と過去形で書いているが父はまだ健在だ。そして私があの家から出て行った後は1人で暮らし続けている。

父の年齢は80歳。

介護認定では要介護2の判定。

一日の中で3分前の自分の行動が思い出せないことが度々ある。

 

 

ここまで読んで、現在の日本の高齢者介護の実態がわかっている勘のいい読者様だったらおおよそ察しがつくことだろう。

 

 

夜中に目が覚めて次の瞬間、いきなり激しい憤りにも似た悔しい感情に、頭の中を支配されそうになっている自分に驚く。なにせ私は責任感ゼロの適当な人間で極度のめんどくさがり屋。いつ何時も、周囲からあきれられるくらいにのほほんと構えていられる凄まじく鈍いタイプの人間だ。

 

きっと私は自分じゃない誰かを攻撃したいのだ…

滴当な原因、適当な犯人をでっちあげて白黒つけて、とっととこの闇に蓋をして、平和な日常に戻ったと自身を騙していたいのだ。

きっとこの闇は、この先何年にも渡ってどんどん大きさを増して私を呑みこもうとする。

闇に呑み込まれて負の感情に負けてしまったら、怒りを暴走させてしまったら、やがてその怒りは私自身をを攻撃し蝕むだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

1年に1記事だってブログはブログだ!

前回書いたブログの日付は2021年12月18日。

今日は2023年1月7日だから、まるまる一年過ぎて年まで越したよ。

全くなにやってんだかね。

だけどそれでもいい。

2記事目を書き始めたから。

私にとっては大きな一歩だ。

最大限開き直って何もかもかなぐり捨てての一歩だよ。

それくらいに自分と向き合うのは不安なことなんだな。今の私にとっては…

 

だって本当に何もないんだもの。今まで何して生きてきたんだろう?って自分でも首を傾げてしまうくらいに。

一応結婚して家族はいるけど、今の私自身には何もない。

無収入でプラプラしてんだよ。のほほんとさ!

ホントどうするつもりなんだろうね。

周囲はどんどん不景気になっていってるのに…。

 

でもまぁ、ここまで来ちゃうにはいろいろあったんだよ。

うん。いろいろとね。

いずれ話すよ。

でも、せっかく前向きな気分になってるのに、またウジウジ暗くなるのも嫌じゃん。

だから、もうちょっと後でね。

 

そうそう。

なんで1年ぶりに2記事目を書く気になったのかと言えば、映画の考察記事を前々から書きたいと思っててね。

クラウドワークスでクライアントさんに申し込んだこともあるんだけど、作品を見ずに書くのがどうしても嫌で挫折した暗い過去があって、チャチャッとレビューとかあらすじとか調べてまとめてしまえばいいのに、ガッツリ何度も見直して頭の中を整理しようとするから、時間ばかり掛かってしまう。

ほかにも、マニュアルに従ったり、トレンドとかのタイミングも必要だったりするし…

 

そういうのがかったるくて迷ってるうちに、だったら”自分のブログで書けばいいじゃん”って気分が強くなって、今更ながらなんだか頭上に光が差した気がした。(どうしようもなく頭の中がガラパゴスだわ)

 

そんなわけで次は映画考察ブログを書きます。

後は頼んだからな。未来の私!

それでは、この辺で。

 

 

 

ブログスタート

出だしで悩むのはいつものこと。

スタートの線から一歩踏み出しては、やっぱりやめたと戻り

「自分のやりたかったこととはこれじゃない」と駄々をこねる。

 

現在クラウドワークスに3年ほど在籍している。

当然いつまでたっても初心者のまま。

 

キーワード、構成、SEO、IKPOLET法など中途半端に知識は増えていくけど、とにかくめんどくさくてどうでもよくなる。

 

結局何がやりたいの?

まずはそれを延々と問い続ける作業が必要だと、いつもごとく自分探しをはじめようとする。

 

ただ、この3年間のクラウドワークス内でのやり取りの中で、いくらか私なり学ばせてもらったこともあるのかもしれない。

 

 

読者は私自身。

そんな、どこまでも独りよがりなブログを書くことで、自分自身を支えようとしているのかもしれない。